◆「私」が「私」を正しく見れないのはどうして?

仏法を求める人が最後まで苦しむのは、

自惚れ心「慢」だといわれます。

 

仏教では、自惚れ心を「慢」といわれます。

 

自分を良いものと思い、

毛頭自分を悪く見れない心です。

 

その自惚れ心を、仏教では七つに分けて「七慢」といわれます。

 

○慢

○過慢

○慢過慢

○我慢

○増上慢

○卑下慢

○邪慢

の7つです。

 

○最初の「慢」は、

自分のよりも劣った相手を「情けないやつだ(`ε´)!」と馬鹿にする心です。

 

テストの点数でいいますと、自分は80点で相手は70点とすると、

「どうだ、オレの方が上だろうヽ(`Д´)ノ」と相手を見下げる心です。

 

そう思うのは当然ではないか・・と思われるかも知れませんが、

相手を踏みつけている恐ろしい心なのです。

 

○次の「過慢」とは、

同じ程度の相手なのに、「自分の方が優れている!」と威張る心をいいます。

 

テストの点数が同じだったのに、

「本当はオレの方が上なのだヽ(`Д´)ノ」と自惚れる心です。

 

○その次の「慢過慢」とは、

間違いなく自分よりも相手が優れているのに、素直にそうとは認められず

「オレの方が上なのだ(-“-)」と思う心をいいます。

 

相手が90点で自分が80点だったときでも・・・

「あいつは高い金腹って塾に通っているからだ、

条件が同じならオレの方が断然上だ!ヽ(`Д´)ノ」と思ったり、

「あいつは勉強は少しはできるかも知れないが、スポーツはまるでダメじゃないか・・・

その点オレは両方できるから!(`ε´)」などと、

 

得手のよい理由を色々見つけて相手の上に立とうとする心です。

 

「我慢」とは、

今日使われる、「忍耐する」というような意味とは違います。

 

自分の間違いに気づきながらも、

どこどこまでも自分の意見を押し通そうとする心をいいます。

「這っても黒豆」という諺があります。

床にある黒いものを指さして、「虫だヽ(`Д´)ノ」「いや黒豆だ(`ε´)」

二人が言い争っていたところ・・・

モゾモゾ動き出したので虫だとハッキリしました(ToT)

 

ところが・・・・

黒豆だといっていた男は「這っても黒豆なんだ!!ヽ(`Д´#)ノ」

と言い張ったそうですが・・・こんなのを「我慢」といいます(;_;)

 

「増上慢」とは、

覚りを開いてもいないのに、覚ったと自惚れている心です。

 

「卑下慢」とは、

「私ほど悪い者はおりません(_ _;)」

「こんな未熟者ですが、ご鞭撻よろしく申し上げます_(_^_)_」と、

深々と頭を下げることによって、

「どうじゃ、こんなに頭の低い者はおらんだろ( ̄ー ̄)」とニンマリする心です。

 

「邪慢」とは、

とんでもないことを自慢する心で、

窃盗犯が

「どぅだ、オレほど素早く他人のものを盗める者はないだろう!(`・∀・´)」

機敏さを自慢したり、

人殺しが残虐ぶりを自慢する

聞くとアキレルでしょうが、自分のことは皆、良いようにしか思えないのです(*_*)。

 

私は顔の色は黒いけど鼻が高いからよかろう(^^)

色も黒いし鼻も低いが、口が小さいから可愛いだろう(^O^)

口は大きいけれども色白だ(・∀・)

と自惚れます。

 

オレは学問は無いけど、働きもんだといわれている(*^_^*)

しまいには、

何にもできんもんだけれど”素直な奴”とみんなから言われているから・・・(^o^;)

と、自分のことはすべて良いことにしてしまいます。

 

仏教では、私たちは、これら7つの自惚れ心からもう離れることができず、

自分の姿を正しく見ることができないのだと、言われています。

 

 

では、本当の私とはどんなものなのでしょうか?

初めての人にもわかられるよう、1つ1つお話しております。