◆仏教を説かれたお釈迦様ってどんな方?

お釈迦様は、約二千六百年前、インドのカピラ城に住んでいた

浄飯王という王様の、太子として生まれられました。

 

お母さんの名をマーヤー夫人と言い、

4月8日、ルンビニー園という花園で生まれられたので、

お釈迦様の誕生日を今日花祭りと言って祝っています。

 

幼い頃は「悉達多(しったるた)太子」と言われ、

学問も武芸も国一番に師匠に学ばれましたが、

文武ともに抜群で、並ぶ者は誰もいなかったといわれています。

 

そのことは、二人の師匠が間もなく

「私にはもう太子に教えることはありません」と、

浄飯王に辞任を申し出た、と言われていることでも分かります。
このように何自由のない悉達多太子でしたが、

成長するにつれ、何か深刻な物思いにふけられるようになりました。

 

心配された両親は、何とか明るい太子にしてやりたいと、19才で

国一番の美女と言われた、ヤショダラ姫と結婚させられました。

 

それでも・・・

太子の暗い表情は変わりませんでした。

 

両親はいろいろ太子の悩みの種を尋ねられますが、

太子は一向に語ろうとはされません。

 

そこで・・・

浄飯王は、春夏秋冬の季節ごと御殿を四つも造らせ、

500人の美女をはべらせて、太子の悩みをなくそうとされましたが、

悉達多太子の表情は少しも晴れませんでした。

 

 

それは・・・

健康、財産、地位、名誉、妻子、才能などに恵まれていても、

やがてすべてに見捨てられる時が来る。

 

どんな幸福も続かないことを知っていられたお釈迦様は、

心からの安心も満足もできなかったのです。

 

 

”どうすれば、崩れない本当の幸福になれるのか”

悉達多太子の、真実の幸福を求める気持ちは、

日に日に強くなってゆかれました。

 

ある日、父・浄飯王に手をついて、

”城を出てまことの幸福を求めさせてください”

と頼まれました。

 

驚いた浄飯王は、「一体何が不足でそんなことを言うのか。

お前の望みは何でもかなえてやろう」と言われると、

 

太子は、「それではお父さん、申しましょう。

私の願いは三つです」と言われています。

 

「3つの願いとは何か」と、不審そうに浄飯王が聞かれると

悉達多太子は、こう言われています。

 

「私の願いの1つは、いつまでも今の若さで年老いないことです。

望みの2つは、いつも達者で病気で苦しむことのないことです。

3つ目の願いは、死なない身になることです。」

 

それを聞かれた浄飯王は、

「そんなことになれるものか。無茶なことを言うものではない!」と、

あきれ返って立ち去られたといわれます。

 

そこで、ついに29才の2月8日、

悉達多太子は夜中密かに城を抜け出し、山奥深く入られ、

私たちの想像もできない厳しい修行を、6年間されました。

 

そして、35歳の12月8日、

ついに仏のさとりをえられたのであります。

 

一口にさとりと言いましても、

低いさとりから高いさとりまで、52の位があります。

 

丁度、相撲取りでも、下は下っ端から上は大関、横綱まであるようなものです。

 

その最高無上のさとり「仏覚」と言い、

その覚りを開かれた方を「仏」とか

「仏様」と言われるのです。

 

35歳で最高の仏のさとりを開かれたお釈迦様は、

80才2月15日にお亡くなりになるまでの45年間、

すべての人が本当の幸せになれる道一つを、説き続けてゆかれました。

 

そのお釈迦様の教えを、今日、仏教と言われます。

 

お釈迦様は、45年間、どんなことを教えてゆかれたのでしょうか?

 

どんな方にでもわかられるように、お話しております。