「因果の道理」は「仏教の根幹」です。
「根幹」とは、根であり、幹である、ということです。
仏教を木に例えますと、「因果の道理」は、根っこであり幹に当たります。
根っこが無ければ木は枯れてしまいますし、
幹を切ったら、木は倒れてしまいます。
ですから「因果の道理」が分からなければ、仏教は一切分かりません。
お釈迦様の説かれた仏教は、すべて書き残されています。
今日、一切経と呼ばれていますが、その数は七千冊以上にのぼります。
それら一切経を貫いている教えが、因果の道理です。
いかに「因果の道理」が仏教を知るに大事なことかお分かりになるでしょう。
では「因果の道理」とは何でしょうか?
「因果」とは、「原因」と「結果」ということです。
仏教では、どんなことにも必ず原因がある、
原因なしに起きる結果は、万に一つ、億に一つもないと教えられています。
もちろん原因が分からないということはあります。
たとえば、太平洋の底深く沈んでしまった飛行機の、
墜落した原因を知ることはできないでしょう。
しかし、原因が「分からない」ことと、原因が「ない」ということは、まったく異なります。
”乱気流に巻き込まれた”とか、
”エンジンが故障した”とか、
必ず原因があって、墜落という結果が起きたのです。
原因なしに墜落するということは、絶対にありません。
この世のことすべては、どんな小さい結果にも、必ずそれ相当の原因があります。
財布を落とした!(ToT)という結果でも、
ぼーっと歩いていたからとか、ポケットに穴があいていたとか、
必ず原因があります。
石につまづいて怪我をした!(+o+)と言っても、必ず原因があってのことなのです。
次に「道理」とは、「三世十方を貫くもの」を言われます。
「三世」とは、「過去・現在・未来」のことで、
「いつでも」ということです。
「十方」とは、東西南北上下四維のことです。
ここで、東西南北、上下は、お分かりになると思いますが、
「四維」とはどんなことか? 初めて聞かれる方もあるでしょう。
東西南北のそれぞれの方角の中間、つまり、北東、南東、北西、南西の4つの方角、
これらを四維といわれます。
「十方」とは、「東西南北上下四維」のことで
「どこでも」ということです。
いつでもどこでも変わらないことを、仏教では道理と言われています。
昔は正しいと言われていたことでも、
今は間違いとされる(>o<)ようなものは、道理とは言いません。
また、日本では正しいと言われることでも、アメリカへ行くと間違いになる(+_+)
そういうものもまた「道理」とは言われません。
日本でも中国でもインドでも、どこでも成り立つものが道理です。
いつの時代でも、どこへ行っても正しいこと、変わらない事実を、「道理」と言います。
仏教は、そんな道理を、二千六百年前から教え続けられているのです。
原因なしに起きる結果は絶対にないし、原因があれば必ず結果が生じる。
平たい言葉で言いますと、蒔かぬタネは絶対生えませんが、
蒔いたタネは必ず生える、ということです。
特に仏教では、私たちにとって一番知りたい、幸福の原因と結果の関係が、
詳しく教えられています。
すべての人にとって最も知りたいことは、
私たちの運命はどうやって決まるのか?
ということでしょう。
なぜなら、私たちが生きているのは、「幸福」という運命を求めてのことだからです。
何のために生まれたきたのか?
私達が生きる目的は幸福という運命を得るためではありませんか。
その幸福や不幸ということは、一体何によって決まるのか?
一番知りたい運命の原因と結果の関係を、お釈迦様はどう教えておられるのか?
初めての人にわかられるように、1から話をしております。