◆「人間に生まれてよかった!」・・・そんな喜び、ありますか?

「人身受け難し、今已に受く」という、

お釈迦様の有名なお言葉があります。

 

「人身(じんしん)」とは私たち人間のことです。

「人身受け難し、今已(すで)に受く」とは、

「生まれ難い人間に生まれることができてよかった!」という喜びの言葉です。

 

「よくぞ人間に生まれたものぞ!」という生命の大歓喜です。

 

私たちは人間に生まれたことを当たり前に思ったり、

苦しい時などは、人間に生まれたことをうらんだり、後悔したりしていますが、

人間に生まれたことは、大変に喜ばねばならぬことだと、

お釈迦様は教えておられます。

 

ある時、お釈迦様が阿難というお弟子に、

「そなたは人間にうまれたことをどのように思っているか」と尋ねられました。

「大変喜んでおります」と阿難尊者が答えると、

お釈迦様は次のような話をされています。

 

今日、盲亀浮木の譬えといわれるお話です。

 

「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。

その盲亀が、100年に一度、海面に顔を出すのだ。
広い海には一本の丸太棒が浮いている。

丸太棒の真ん中には小さな穴がある。

その丸太棒は風のまにまに、西へ東へ、南へ北へと漂っているのだ。

 

阿難よ、100年に一度、浮かび上がるこの亀が、

浮かび上がった拍子に、丸太棒の穴にひょいと頭を入れることがあると思うか?」

 

聞かれた阿難は驚いて、

「お釈迦様、そんなことはとても考えられません!」と答えると、

「絶対にないと言い切れるか?」

お釈迦様が念を押されると、「何億年かける何億年、何兆年かける何兆年の間には、

ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、

無いと言ってもよいくらい難しいことです」と阿難が答えると・・・

 

「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれることは、

この亀が、丸太棒の穴に首を入れることが有るよりも、

難しいことなんだ、有難いことなんだよ・・・」とお釈迦様は教えられています。

 

有難いとは「有ることが難しい」ということで、

めったに無いことを言います。

 

人間に生まれることは、それほど喜ばねばならないことだと、

お釈迦様は教えられているのですが、喜んでいるどころか、

「なんで生まれてきたのだろう。」

「人間に生まれさえしなければ、こんなに苦しまなくてよかったのに」と、

恨んでいる人さえあります。

 

それは・・・

 

何にために人間に生まれてきたのか?

何のために生きているのか?

なぜ苦しくても生きねばならないのか?

 

本当の生きる目的」が分からないからです。

 

「人間に生まれたのはこれ一つのためであった!」と、

生きる目的を達成できた時にこそ、

「人身受け難し、今已に受く」

「人間に生まれてよかった!」という生命の大歓喜が起きるのです。

 

生きる目的とは何か?

 

仏教ではどのように教えられているのでしょうか。

 

初めて来られた方にもわかられるように、1つ1つお話しています。